KITA Yasuhiro
Faculty of Letters Department of Cultural History
Professor
Last Updated :2024/05/23

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Research Projects

  • 古代日本の統治権正当化の論理に関する思想史的研究―古代天皇と儒教思想―
    北 康宏
    本研究は、古代史を日本思想史の体系の中に位置付けるべく、日本的国制の原型が古代においてどのように形成されるかを研究したものである。具体的には日本律令法を背後で支えている意識構造(法意識)の特質を、その形成過程にまで遡って考察した。 (1)大化改新は、旧来の奉仕意識と新たな私有意識の間に生じた矛盾を契機とした、伴造層・伴など広範な中間層の官人化政策であった。対外戦争や内乱などの非日常的な交通関係のみではなく、所有意識の胎動といった社会の動きから新しい国制が生み出される過程を描き出した。 (2)日本律令法は単なる継受法ではなく、部民廃止という実質的利害を挟んで交わされた大化品部廃止詔の契約のモニュメントとみなされ、天皇と臣下が協力して改めることなく未来に向けて守り続けられるべきものとされた。近江令が神聖視され、恒法たる大宝令もその修訂版だとされたのは、その具体的実現であるからである。こうした契約の観念がそれ以降の律令官人の奉仕意識を背後で支えていた。 (3)強い私有意識が氏のなかに芽生えてきていたにもかかわらず、日本古代社会は権利主体間の契約関係から国制レベルの法を生み出すことにはならなかった。「氏」は名と職を負う重層的な奉仕集団であって、それは個人の権利・所有意識と相即的たりえず、結局は法的団体に転成しえなかった。政府は、「氏」を奉仕意識の基礎として国史の中に保存しはしたが、職や禄といった現実的な権利意識はすべて位階のなかに集約させた。かつて中田薫氏が指摘した日本的祖名相続が法的意識と一体化して法的団体を生み出すには「中世的な家」の成立を待たなければならなかった。古代においては、この独自の祖名相続的法意識は一たん位階へと止揚され、それを通して法秩序は維持された。これが、「氏」の結束にこだわらず個人を核にした自然的「家族」の利害に基づき分化し続けた藤原氏のみが隆盛を誇り、それ以外の古代貴族は次第に終焉を迎えた理由である。 そのほか、聖徳太子の思想、仏教が日本神話の読み替えという形で受容される点などを、個別研究から明らかにした。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2001 -2003, 特別研究員奨励費, 同志社大学