「ポピュリズムという問い」
冨山 一郎
『論堂』, (1号) 52 - 63, 2017年
座談会「テロルの季節」(池田浩士,岡真理,伊藤公雄らと)
『インパクション』, (197 号) 20 - 67, 2014年
「戒厳状態における発話行為を考える」(ハングル 沈正明訳)
『言葉と弓』, (6 号) 203 - 214, 2014年
『開発言説』再考―日本の戦後復興から考える
『アジア・アフリカ地域研究』, 13(2) 249 - 266, 2014年
『開発言説』再考―日本の戦後復興から考える
13(2) 249 - 266, 2014年
「躓くということー中田英樹『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』
『インパクション』, (191号) 120 - 121, 2013年
「観客席に座っているのは誰なのか―ドキュメンタリー『ショック・ドクトリン』
冨山 一郎
『インパクション』, インパクト出版会, (192号) 140 - 142, 2013年
改憲状況と東アジア
『カーニバル』, (350号) 4 - 6, 2013年
安倍政権・空虚な右傾化とその危険性」(麻生令彦氏と対談)
麻生 令彦; 冨山 一郎
『インパクション』, インパクト出版会, (192号) 46 - 64, 2013年
改憲とは何か
『インパクション』, (191号) 22 - 29, 2013年
ユートピアたちー具体に差し戻すということ(ハングル)
『解釈と批評』, (7号) 177 - 220, 2013年
動員的帝国(中国語)
『人間思想』, 99 - 104, 2013年
「躓くということー中田英樹『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民』
(191号) 120 - 121, 2013年
改憲状況と東アジア
(350号) 4 - 6, 2013年
改憲とは何か
(191号) 22 - 29, 2013年
動員的帝国(中国語)
99 - 104, 2013年
戦友という問い
『インパクション』, (185 号) 219 - 224, 2012年
沖縄をめぐる危機の文化について
『翰林日本学』, (21 号) 1 - 21, 2012年
巻き込まれるということ(ハングル)
冨山 一郎
『R』, Vol.4 pp.16-28。 , 2012年
戒厳令について―関東大震災を想起するということ―(ハングル)
冨山 一郎
『日本批評』, (7) 80 - 113, 2012年
みんなという問題
冨山 一郎
『Cultures/Critiques』臨時増刊号, 2012年
(書評)巻き込まれるということ―ソルニット『災害ユートピア』を読むための身体レッスンとして
冨山 一郎
『日本学報』, 大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, (31) 169 - 181, 2012年
(討議)分析・空間・集団性(辻大介氏と)
冨山 一郎
『Cultures/Critiques』臨時増刊号, 2012年
ポピュラーカルチャー研究宣言
冨山 一郎
『Cultures/Critiques』臨時増刊号, 2012年
(座談会)「グローバル化を問い直す」(三島憲一、栗本英世と)
冨山 一郎
『コンフリクトの人文学』, (4), 2012年
コンフリクトと横断性
『コンフリクトの人文学』, (4号) 179 - 194, 2012年
肉塊の思考
『表象』表象文化論学会, (6号) 239 - 242, 2012年
民族主義とルンペン・プロレタリアート―沖縄における脱植民地化と冷戦の間
冨山一郎・田沼幸子編著『コンフリクトから問うーその方法論的検討』大阪い大学出版会, 89 - 122, 2012年
戦友という問い
(185 号) 219 - 224, 2012年
沖縄をめぐる危機の文化について
『翰林日本学』, (21 号) 1 - 21, 2012年
巻き込まれるということ(ハングル)
『R』, Vol.4 pp.16-28。 , 2012年
恨恨の焔
冨山 一郎
『インパクション』, (181), 2011年
ナショナリズムの臆病ものたちの未来
冨山 一郎
『LE MONDE diplomatiqe』(韓国語版), 2011年
伊波普猷『南島史考(琉球ヲ中心トシタル)』(私立大島郡教育会 1931年)をどう読めばいいのか
『奄美郷土研究会報』, (42号) 139 - 149, 2011年
「基地の島」における民族の問題―領土と身体(ハングル)
『間SAI』(International Association of Korean Literary and Cultural Studies), (10号) 211 - 242, 2011年
公的知識人と連結のための知―生成のプロセスを共有するということ(ハングル)
『東方学志』延世大学校国学研究院, (156号) 107 - 129, 2011年
(翻訳・解説Xamuel Banales)カリフォルニア大学バークレー校における運動組織の植民地性
冨山 一郎
『インパクション』, インパクト出版会, (173) 88 - 94, 2010年
大学の危機?
冨山 一郎
『インパクション』, (173), 2010年
一人ひとりが、きっちりと『ノー』ということー『一九八五年 花であること 聞き取り 華僑二世徐翠珍的在日』(製作・監督 金成日)
冨山 一郎
『インパクション』, (176), 2010年
(座談会)外国人差別制度・『在特会』・ファシズム(鵜飼哲・山根実紀・永井美由紀・豊福誠二らと)
冨山 一郎
『インパクション』, (174), 2010年
(講演録と解説)悲しみと怒り、そして浄化―土屋健治『カルティニの風景』からー
冨山 一郎
『文化/批評』国際日本学研究会, 国際日本学研究会, (3) 145 - 156, 2010年
殖民主義與熱帯科学(中文)
陳光興編『超克「現代」』台湾社会研究雑誌社, 231 - 250, 2010年
記憶という問題、あるいは社会の未決性(openness)について(ハングル)
『The Journal of Localitology』(釜山大学Korean Studies Institute), (3号) 211 - 242, 2010年
歴史経験、あるいは希望について
冨山一郎・森宣雄編『現代沖縄の歴史経験』青弓社, 218 - 232, 2010年
醜い顔
冨山 一郎
『インパクション』, (169), 2009年
まだ始まっていないこと、あるいはノラの奇蹟について
荻野美穂編『性の分割線』青弓社, 275 - 306, 2009年
(座談会)沖縄10年―何がはじまっているのか(阿部小涼、鳥山淳、新垣誠らと)
冨山 一郎
『インパクション』, (168), 2008年
研究アクティヴィズムのために
冨山 一郎
『歩きながら問う』インパクト出版会, 2008年
『「原爆の絵」と出会う』からの始まり
冨山 一郎
『日本学報』大阪大学日本学研究室, 大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, (27巻) 1 - 18, 2008年
基地と振興の中で抵抗運動を再考するために
『インパクション』, (163号) 20 - 29, 2008年
ユートピアたち
石塚道子・田沼幸子・冨山一郎編『ポスト・ユートピアの人類学』人文書院, 341 - 376, 2008年
再び奴隷になるー沖縄人プロレタリアートとはだれのことか
秋田茂・桃木至朗編『歴史学のフロンティア』大阪大学出版会, 166 - 190, 2008年
土着與流亡的邂逅(中文)
『台湾社会研究季刊』(台北), (72期) 191 - 203, 2008年
(書評)誰がゲームを終わらせるのかー平井玄『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』への書き込み
冨山 一郎
『日本学報』大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, 大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, (26) 125 - 135, 2007年
凝視すべき身体の言葉
冨山 一郎
『沖縄タイムス』, 2007年
法的利益、あるいは遺族という問題 書評『還我祖霊』(中島光孝著 白澤社)
冨山 一郎
『インパクション』, インパクト出版会, (156) 188 - 191, 2007年
この、平穏な時期に
野村浩也編『植民者へ』松籟社, 434 - 472, 2007年
裏切られた希望、あるいは希望について(ハングル)
『批評』(ソウル), (15号) 320 - 355, 2007年
書評 裏切られた希望、あるいは希望について--文富軾『失われた記憶を求めて--狂気の時代を考える』をめぐる省察
冨山 一郎
大阪大学日本学報, 大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, (25) 107 - 129, 2006年03月
言葉の在処と記憶における病の問題
冨山一郎編『記憶が語りはじめる』東京大学出版会, 201 - 224, 2006年
予感という問題
田中雅一・松田素二編『ミクロ人類学の実践』世界思想社, 424 - 450, 2006年
接続せよ! 研究機械―研究アクティヴィズムのために
『インパクション』, (153号) 10 - 21, 2006年
做為媒介的運動(中文)
『台湾社会研究季刊』(台北), (63期) 241 - 252, 2006年
南島人とは誰のことか
竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う』人文書院, 255 - 275, 2005年
沖縄戦「後」ということ
『日本史講座10 戦後日本論』東京大学出版会, 291 - 324, 2005年
分析ということ、記憶ということ、あるいは正しい政治
冨山 一郎
『日本思想史研究会会報』, 日本思想史研究会, (23号) 1 - 8, 2005年
Colonialism and the Sciences of the Tropical Zone
Naoki Sakai(ed.),Deconstructing Nationality, Cornell University East Asia Series, 41 - 60, 2005年
経験が重なり合う(ハングル)
『当代批評(特別号)』(ソウル), 302 - 311, 2004年09月
自由と救済から何を感知するのか
冨山 一郎
『法社会学』法社会学会, 有斐閣, (60号) 90 - 100, 2004年
On Becoming ‘a Japanese’: The Community of Oblivion and Memories of the Battlefield
Japan Focus(英文電子ジャーナル、Gavan McCormack, Mark Selden等による。http://www.japanfocus.org ), 2004年
鎮圧の後
『情況』, 第3期第5巻(9号) 126 - 131, 2004年
世界市場に夢想される帝国
豊見山和行編『日本の時代史18 琉球・沖縄史の世界』吉川弘文館, 267 - 288, 2003年
帝国の人種主義
竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う』京都大学人文科学研究所国際シンポジウム報告書, 2003年
The ‘Japanese’ of Micronesia
Ronald Y. Nakasone(ed.), Okinawan Diaspora,University of Hawaii Press, 57 - 70, 2002年
對行與追溯(中文)
『中外文学』(台湾大学), 第31巻(7期) 33 - 62, 2002年
国境
小森陽一・千野香織・酒井直樹・成田龍一・島薗進・吉見俊哉編『近代日本の文化史4 感性の近代』岩波書店、, 207 - 231, 2002年
問題提起 シンポジウム「反乱-鎮圧の系譜学」にむけて--マナから反乱へ (特集 反乱-鎮圧の系譜学)
冨山 一郎
大阪大学日本学報, 大阪大学文学部日本学研究室, (20) 1 - 22, 2001年03月
生活改善運動の分析
大門正克・小野あかね編『民衆世界への問いかけ』東京堂出版, 238 - 275, 2001年
戦争における証言の領域
懐徳堂記念会編『生と死の文化史』和泉書院, 41 - 54, 2001年
記憶の到来/帝国の綻び (特集 台湾--世界資本主義と帝国の記憶) -- (記憶に出会うということ--台湾人の戦争展)
冨山 一郎
インパクション, インパクト出版会, (120) 34 - 39, 2000年07月
脱冷戦 帝国から--冷戦のはじまりについての省察 (特集 脱冷戦と東アジア)
冨山 一郎
現代思想, 青土社, 28(7) 102 - 112, 2000年06月
植民地主義 (この本を読もう!--現代を読み解くための古典ガイド) -- (古典ガイド編・3 人間・歴史・こころをめぐる問題群)
冨山 一郎
世界, 岩波書店, (675) 170 - 173, 2000年05月
開発と名前 : 開発言説の中での日本を考えるための予備的考察(<特集>日本研究の現在)
冨山 一郎
大阪大学日本学報, 大阪大学, 19 55 - 67, 2000年03月
証言 (総特集 現代思想のキーワード) -- (公共圏)
冨山 一郎
現代思想, 青土社, 28(3) 18 - 21, 2000年02月
開発と名前、19号、2000
『日本学報』大阪大学大学院文学研究科日本学研究室, (19号) 55 - 67, 2000年
帝国から
『現代思想』, 28巻(7号) 102 - 112, 2000年
困難な私たちーJ・バトラー『ジェンダー・トラブル』ー
冨山 一郎
『思想』, 岩波書店, (913号) 91 - 107, 2000年
Japan's militarization and Okinawa's bases: making peace
Inter-Asia Cultural Studies(Routledge), Vol.1(no.2 August) 349 - 356, 2000年
暴力の予感ー「沖縄」という名前を考えるための序論
吉見俊哉・栗原彬・小森陽一他編『越境する知 Ⅱ』東大出版会, 179 - 206, 2000年
: Mobilization and Identity in Wartime Okinawa
TOMIYAMA Ichiro
Senri Ethnological Studies 51, National Museum of Ethnology, 国立民族学博物館, 51 121 - 132, 2000年
「地域研究」というアリーナ
『地域研究論集』, 1巻(3号) 7 - 17, 1999年
開発言説に関するノート
『開発言説と農村開発』平成8-10年度科学研究補助金<国際学術研究 代表足立明>研究成果報告, 6 - 14, 1999年
平和をつくる(ハングル)No.7、1999、
『当代批評』(ソウル), (7号) 127 - 144, 1999年
ユートピアの海
春日直樹編『オセアニア・オリエンタリズム』世界思想社, 204 - 229, 1999年
非ー歴史としての沖縄人
花田達朗・吉見俊哉・コリン・スパーク編『カルチュラル・スタディーズとの対話』新曜社, 92 - 105, 1999年
The Critical Limits of the National Community,”, Vol.1No.2 1998,
Social Science Japan Journal(Oxford University Press), Vol.1(No.2 October) 165 - 179, 1998年
沖縄(ウチナー)へのこだわりー大阪・大正区ー
原尻英樹編『世界の民族ー「民族」形成と近代ー』放送大学教育振興会, 20 - 32, 1998年
赤い大地と夢の痕跡
複数文化研究会編『<複数文化>のために』人文書院, 118 - 135, 1998年
栗本英世著『民族紛争を生きる人々--現代アフリカの国家とマイノリティ』
富山 一郎
ソシオロジ, 社会学研究会, 41(3) 92 - 95, 1997年02月
琉球人という主体ー伊波普猷における暴力の予感
『思想』, (878号) 5 - 33, 1997年
沖縄とインドネシアをつなぐもの
『大航海』, (15号) 89 - 93, 1997年
殖民主義與熱帯科学(中文)
『台湾社會研究』(台北), (28期) 121 - 143, 1997年
動員される身体ー暴力と快楽
小岸昭・池田浩士・鵜飼哲・和田忠彦編『ファシズムの想像力』人文書院, 126 - 154, 1997年
熱帯科学と植民地主義
伊豫谷登士翁・酒井直樹・ブレッド・ド・バリー編『ナショナリティーの脱構築』柏書房, 57 - 80, 1996年
ナショナリズム・モダニズム・コロニアリズム
伊豫谷登士翁・杉原達編『日本社会と移民』明石書店, 129 - 163, 1996年
Colonialism and the Sciences of the Tropical Zone
positions (Duke University Press), vol.3(no.1) 367 - 391, 1996年
レイシズムとレイプ
『インパクション』., (95号), 1996年
暴動の系譜
『インパクション』, (99号) 20 - 29, 1996年
測定という技法ー人種から国民へ
『江戸の思想』, (4号), 1996年
対抗と遡行ーフランツ・ファノンの叙述をめぐって
冨山 一郎
『思想』, 学術雑誌目次速報データベース由来, 866(866号) 91 - 113, 1996年
戦場の記憶
『現代思想』, 23巻(2号) 203 - 213, 1995年
「近代日本の差別と村落」今西一
富山 一郎
史林, 史学研究会, 77(2) p307 - 313, 1994年03月
記憶の政治学
『aala』日本アジア・アフリカ作家会議, (95号) 6 - 14, 1994年
国民の誕生と「日本人種」
冨山
『思想』, (845号) 37 - 57, 1994年
忘却の共同体と戦場の記憶
『寄せ場』(日本寄せ場学会), (6号), 1993年
ミクロネシアの「日本人」
『歴史評論』, (513号) 54 - 65, 1993年
「皇民化」と移民
新人物往来社編『新視点 日本の歴史 3巻』新人物往来社, 244 - 249, 1993年
沖縄差別とプロレタリア化
琉球新報社編『新琉球史 近代・現代編』琉球新報社, 169 - 190, 1992年
戦争動員と戦場体験
『日本史研究』(日本史研究会), (355号) 111 - 139, 1992年
戦争動員
『脈』脈発行所・那覇, (44号) 32 - 37, 1991年
沖縄の日本復帰動、
『大阪社会運動史第4巻』有斐閣, 859 - 863, 1991年
六〇年以降の沖縄の復帰運動と労働力の流入
『大阪社会運動史第4巻』有斐閣, 1234 - 1241, 1991年
大河内理論のおける存在論的「労働力」概念について
荒木幹雄編『小農の史的分析』富民協会, 35 - 48, 1990年
労働の規律と「伝統的」なるもの
『新しい歴史学のために』京都民科, (198号) 1 - 11, 1990年
同郷人団体の政治行動
富山 一郎; トミヤマ イチロウ; Tomiyama Ichiro
『社会科学』同志社大学人文科学研究所, 同志社大学人文科学研究所, (43号) 1 - 45, 1989年
戦前期における地域間労働力移動と兼業化の構造
冨山 一郎
『農業史研究』(農業史研究会), 日本農業史学会, 22(22号) 40 - 56, 1989年
1920年代における労働市場の重層化と労働力流出構造
三好正喜編著『近畿型農業と農民運動』校倉書房, 169 - 209, 1989年
沖縄近代経済史と日本資本主義
『新しい歴史学のために』京都民科, (190号) 14 - 24, 1988年
戦前期沖縄出稼民の結社と「沖縄差別」
富山 一郎
『歴史学研究』歴史学研究会, 青木書店, (570号) 14 - 29, 1987年
沖縄出身者の活動
『大阪社会運動史第3巻』有斐閣, 1287 - 1290, 1987年
「団体主義」について
『農業史研究会会報』現在名『農業史研究』農業史研究会, (19号) 9 - 20, 1986年
「沖縄人」形成の一試論
『自然学研究』自然学研究会, (創刊号) 85 - 102, 1986年
<沖縄差別>と<同郷人的結合>
富山 一郎
『ソシオロジ』社会学研究会, 社会学研究会, 30巻(2号) 69 - 91, 1985年
戦前期沖縄における農村労働力流出の分析
富山 一郎
『農業経済研究』日本農業経済学会, 日本農業経済学会 岩波書店(発売), 55巻(4号) 218 - 232, 1985年
大学による盗骨
冨山 一郎
耕文社, 2019年02月, 共著, 70-85頁
<異>なる関西
冨山一郎
2018年10月, 共著, 114-139頁
始まりの知ーファノンの臨床
冨山 一郎
法政大学出版局, 2018年07月, 単著
軍事的暴力を問う
冨山 一郎
青弓社, 2018年04月, 共編者(共編著者)
あま世へー沖縄戦後史の自立に向けて
冨山 一郎
2017年03月, 共編者(共編著者)
流着の思想(ハングル 沈正明訳)
冨山 一郎
Geulhangari Publishers, 2015年, 単著, 422頁, 学術書
戦争と教育
冨山 一郎; 北村嘉恵; 白取道博
日本図書センター, 2014年, 共著, pp.77-129, 音楽資料
東アジアの知識人3 「社会」の発見と変容
冨山 一郎; 趙景達; 原田敬一; 村田雄二郎; 安田常雄
有志舎, 2013年, 共著, 184-201頁, 学術書
「島ぐるみ闘争」はどう準備されたか
冨山 一郎; 森宣雄; 鳥山淳
不二出版, 2013年, 共著, 243-247頁, 学術書
流着の思想
冨山 一郎
インパクト出版会, 2013年
沖縄をめぐる危機の文化について『翰林日本学』
冨山 一郎
翰林大学, 2012年, 21 号,pp.1-21
コンフリクトから考える(共編著)
冨山 一郎
大阪大学出版会, 2012年, その他, 89-122, 学術書
超克「現代」上(中文)
冨山 一郎
台湾社会研究雑誌社(台北), 2010年, 共著, 231-250
現代沖縄の歴史経験(共編著)
冨山 一郎
青弓社, 2010年, その他, 208-232, 学術書
性の分割線
冨山 一郎
2009年, 共著, 275-306
暴力の予感(ハングル)
冨山 一郎
グリンビー出版(ソウル), 2009年, 単著, 学術書
歴史学のフロンティア
冨山 一郎
2008年, 共著, 166-190
ポスト・ユートピアの人類学(共編著)
冨山 一郎
人文書院, 2008年, 341-376, 学術書
植民者へ
冨山 一郎
2007年, 共著, 434-472
記憶が語り始める(編著)
冨山 一郎
東京大学出版会, 2006年, その他, 学術書
増補 戦場の記憶
冨山 一郎
日本経済評論社, 2006年, 単著, 学術書
戦場の記憶(ハングル)
冨山 一郎
移山出版(ソウル), 2002年, 単著, 学術書
暴力の予感
冨山 一郎
岩波書店, 2002年, 単著, 学術書
戦場の記憶
冨山 一郎
日本経済評論社, 1995年, 単著, 学術書
近代日本社会と「沖縄人」
冨山 一郎
日本経済評論社, 1991年, 単著, 学術書
先住民族研究形成に向けた人類学と批判的社会運動を連携する理論の構築
太田 好信; 瀬口 典子; 辻 康夫; 松島 泰勝; 池田 光穂; 冨山 一郎; 加藤 博文; 北原 次郎太
本研究は、二つの相互に関連する目的をもつ。第一に、日本ではいまだ黎明期にある先住民族研究が、既存の学問領域(人類学、文化人類学、政治学、考古学、歴史学)、ならびに批判的社会運動との対話を通し、多様性を重んじる社会を形成するにあたり重要な役割を果たすという主張に理論的根拠を付与することである。(ここでは先住民族研究を先住民族による自らのための知と便宜的に捉えておく。)第二に、海外(とくに、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど)では高等研究機関内に先住民族研究の拠点が存在し、既存の学問、ならびに批判的社会運動との連携も進行中であるが、この事実を念頭におき、それらの諸機関との間に知的交流の回路を形成し、その結果、日本における先住民族研究の存在意義を理論的に補強することである。
一部の例外はあるものの、令和2(2020)年度はコロナ禍の影響を受け、上記、第二の目的である海外調査はほぼ不可能であったため、第一の目的の具体的根拠となる活動をおこなった。とくに、琉球人遺骨返還を求める批判的社会運動と学術との対話を促進した。対話の前提となる(遺骨返還に関する)共通認識を獲得するために、現地視察、聞き取りもおこなった。さらに、遺骨返還をテーマにした「対話」シンポジウムを二度開催した。さらに、アイヌ民族による批判的社会運動について、聞き取り調査をおこなった。また、理論形成を進めるため、科研代表者と分担者との間で、研究打ち合わせ会を全5回おこなった。令和2(2020)年度の活動から、当初は予想していなかった社会運動内部におけるジェンダーによる無意識の階層化についても、今後、検討を要するという提起がなされた。理論的課題として、アイヌ民族や琉球民族の存在を否定する側の論理と批判的社会運動との矛盾した関係について考察を深める必要があるという認識にも至った。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2020年04月 -2025年03月, 基盤研究(A), 九州大学
世界文学としての「原爆文学」ー記憶と哀悼の共同性を中心にー
冨山 一郎; SIM JEONGMYOUNG
本研究では、過去の戦争の記憶を共有し、偏在する暴力やいつ到来するともしれない災害にともに向き合い、その死者たちをしっかり哀悼する道を探るという学問的な問いのもと、原爆・空襲など第二次世界大戦にかかわる記憶が体験記録や文学作品にいかに表象されているかを分析する。生半可な共有を拒絶するものとして語られて来た「原爆」の経験をいかに世界の中にいる「私たち」のものとして引き受けうるかについて考えるために、原爆だけではなく、ホロコーストや集団収容所、植民地の経験、様々な災害などにおける記念・追悼の実例に基づき、それらの出来事がいかに関係付けられ、いかなる物語として語れているかを具体的見ていく。また、暴力の記憶をめぐる様々な議論とそれぞれの出来事に対する記念・追悼の歴史およびその実際の蓄積を参考に、災害や戦争における大量死に対する記念・追悼をナショナルなものとして囲い込むのではなく、いかに分有できるかについて模索した。具体的には、記憶にかかわる世界的に蓄積された議論をより幅広く参照するだけでなく、沖縄戦、空襲、原爆、ベトナム戦争など、戦争を題材にした理論と文学作品を体系的に分析していく。それらの研究の一環として、ホロコーストに関わる記憶研究を幅広く参考にし、とりわけ原爆を世界史的な暴力の文脈において文学化した小田実の『HIROSHIMA』を分析する報告をしたうえ、それを書き直した論文を発表している。そのほかにも、沖縄文学作品および沖縄戦や復帰に関わる文章を翻訳、紹介している。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2019年04月 -2021年03月, 特別研究員奨励費, 同志社大学
沖縄独立の人文学的意義に関する予備的考察-戦後歴史学を中心にー
冨山 一郎; 松島 泰勝; 駒込 武; 板垣 竜太; 小川 正人; 鳥山 敦; 森本 眞一郎; 島袋 まりあ; ウェスリー 上運天
沖縄は近代的主権の淵、あるいは例外状態の位置にたえずおかれてきた。恒常的に例外化に曝されているといってもいい。このような位置から歴史を描くことを検討した。結論としていえることは、歴史を語る言葉は既に、驚くほど近代的主権やその基盤である領土あるいは国民という主体に浸食されていることである。あるいは何を政治といい、経済といい、社会というのかという前提や、公的領域と私的領域の区分も、近代的主権が構成する秩序を担っている。したがって、例外化に曝された位置が歴史を獲得することは、まずもって何を歴史というのか、その歴史はいかなる言葉において担われるのかという問いとしてあることが明らかになった。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2015年04月 -2019年03月, 挑戦的萌芽研究, 同志社大学
高度経済成長と戦後日本の総合的歴史研究―高度成長の社会史
庄司 俊作; 冨山 一郎; 小川原 宏幸; 井上 史; 西川 祐子; 原山 浩介; 河西 秀哉; 櫻澤 誠; 杉本 弘幸; 福家 崇洋; 安岡 健一; 広原 盛明; 今井 小の実; 伊藤 淳史; 小堀 誠; 櫻井 重康; 桐山 節子; 田中 智子; 本岡 拓哉
高度経済成長期を中心に戦後日本の政治、経済、社会の歴史研究を行った。3年間を通して月1回のペースで研究会を開催し、研究報告とともに関連する研究動向、研究成果の合評会等を積み重ねた。研究分担者は各分担テーマで資料調査、現地調査を行い、研究成果を発表してきた。3年間で独自に著作を刊行した分担者も少なくない。国際シンポジウムと学会シンポジウムを各1回のほか、市民向けの公開講演会を2回開催した。2016年度、3年間の研究成果を踏まえ、研究叢書『戦後日本の開発・高度成長と民主主義――地域からの照射』(仮題)を刊行する。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2013年04月 -2016年03月, 基盤研究(C), 同志社大学
辺境における空間的・社会的移動と教育―奄美諸島の経験を基軸とした比較史的研究―
駒込 武; 冨山 一郎; 板垣 竜太; 鳥山 敦
本研究では、近代日本において「辺境」とされた地域において空間的移動と社会的移動の可能性がどのように開かれていたのか、その中で学校教育がどのような役割を果たしたのかを解明した。具体的には、奄美諸島の経験を基軸としながら、かつて日本の「植民地」とされた台湾・朝鮮や、「内国植民地」と称された琉球諸島・北海道を含めて、これらの地域に生きる人びとが高学歴の取得を通じて脱「辺境」を志向しながらも、その試みが挫折したプロセスを分析した。また、いわば「法制化された不自由」が存続した時代に構築された資本格差が、「法制化された不自由」撤廃後の不平等を存続させるための重要な因子としての役割を果たしたことを指摘した。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2010年04月 -2014年03月, 基盤研究(B), 京都大学
複数の歴史認識における史料を媒介とした新しい歴史記述の方法論的研究
冨山 一郎
本研究では、ある地域において歴史的意義を担っていた史料を別の主体にかかわる歴史記述において読み直すとき何が問われるのかということを、史料読解にそくして検討した。また歴史認識における地域史や辺境史と日本史、あるいは植民地史と帝国史の違いや対立を、歴史史料の読解を通じて検討し、どちらか一方を他方へと還元しない新しい歴史記述の方法を具体的に提示した。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2010年 -2012年, 挑戦的萌芽研究
近代日本の植民地経験とアイデンティティ形成に関する比較教育文化史的研究
駒込 武; 冨山 一郎; 板垣 竜太
本研究では、「アイヌ」「沖縄人」「台湾人」「朝鮮人」というアイデンティティがどのように成立し、変容したのかという問題を比較史的視野から考察した。研究の実施にあたっては、フィールドを異にする研究者が現地をともに訪れることによって、それぞれの地域の「いま」が抱える問題を共有しながら歴史認識を深めることを重視した。研究の結果、空間的・社会的移動の可能性が比較研究の軸とされるべきことが明らかになった。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2006年 -2009年, 基盤研究(B), 京都大学
家族写真の歴史民俗学的研究
川村 邦光; 荻野 美穂; 落合 恵美子; 才津 祐美子; 重信 幸彦; 杉原 達; 荻野 美穂; 杉原 達; 冨山 一郎; 真鍋 昌賢; 落合 恵美子
日本の家族写真は、当初西洋の影響を受けていたが、独自の展開をしてきたことを明らかにした。家族写真が人生儀礼や年中行事において撮影され続け、民俗的慣行として確立され、民俗資料として有効であることも明らかにした。現在では、特に年賀状に家族写真が載せられて、友人・知人に向けて発信され、家族の共同性を確認する機能を果たしている。本研究は家族写真に関する初めてのまとまった本格的な研究であると考える。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2006年 -2008年, 基盤研究(B), 大阪大学
ポピュラーカルチャーの映像資料作成と編集・教材化・公開にかかわる方法論研究
伊藤 公雄; 冨山 一郎; 山中 浩司; 川村 邦光; 牟田 和恵; 丹羽 美之
本研究は、ポピュラーカルチャーの現場体験を映像化するとともに、その成果を社会学教育の教材として使用するための方法論を探るプロジェクトとして実施されたものである。
最終年度である2007年度には、これまでの研究を受ける形で、映像社会学についての数度の研究会を開催し、ポピュラーカルチャーをめぐる映像化の意義とその活用法について、実際に授業で映像を使用した経験についての報告をうけつつ、検討をくわえた。また、社会調査時におけるインタビュー等において、映像を記憶喚起の材料として使用することの可能性についても議論をふかめることができた。
2008年2月には、これまでの研究の総括的な場として、映像の学術使用および映像アーカイブの方法について、2日間にわたる公開研究シンポジウムを開催した。初日の映像の学術的使用のシンポジウムでは、社会学の研究者以外にも人類学や言語学、動物行動学などの若手研究者の参加をえて、広く学術研究における映像使用の可能性について議論を深めることができた。また、2日目に開催した映像アーカイブのシンポジウムでは、国内の主要なアーカイブの関係者やアーカイブについての研究者等の参加をえて、映像(特にポピュラーカルチャーにかかわる)の保存および活用の現状の課題を共有するとともに、アーカイブのかかえる諸問題について議論を深めることができた。
以上、3年間にわたる共同研究を通じて、ポピュラーカルチャーを軸に、映像の学術的分野における活用と、映像保存の可能性について、これまでにない新たな知見を生み出すことができたと考えている(成果の詳細については、「報告書」を参照されたい)。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2005年 -2007年, 萌芽研究, 京都大学
近代日本における宗教とナショナリズム・国家をめぐる総合的研究
川村 邦光; 荻野 美穂; 杉原 達; 冨山 一郎; 真鍋 昌賢; 中村 生雄
本研究は平成12年度から14年度の科研「戦死者をめぐる宗教・文化の研究」を発展させる意図のもとに計画し、平成15年度から17年度の3年間にわたって実施された。課題名「近代日本における宗教とナショナリズム・国家をめぐる総合的研究」の研究目的は、近代日本における宗教と国家との関係を研究することにある。国家の宗教政策、また靖国神社や神社神道、国家神道が国民の信仰生活に対してどのような影響を及ぼしたのか、宗教がナショナリズムの形成においてどのように関与したのか、この二つが主要なテーマである。
この研究課題を進めるために、「文化/批評」研究会を組織し、3年にわたり、16回の研究会を開催することができた。また、研究会の案内・報告などのために、ニューズレター「cultures/critiques」を刊行し、23号に達した。
本研究会では、大阪大学や他の大学の教員や大学院生に参加を呼びかけ、研究分担者をはじめとし、他大学の研究者、また大阪大学の大学院生に発表やコメントを依頼して、他大学の様々な研究分野の研究者との交流をはかることができたとともに、若手研究者の養成と大学院教育の充実をはかることができたと考える。
本研究の報告書として、6名の寄稿者をえて、283頁に及ぶ冊子を刊行することができた。ここでは、研究分担者、大阪大学大学院の院生、他大学の研究者にも研究会での発表に基づいて、原稿を執筆してもらい、研究成果の公表と共有化をはかった。研究目的の大半を達成できたと考えるが、調査や研究の成果が論文のなかに反映させることができなかったため、今後ともこの研究会を続行することにしている。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2003年 -2005年, 基盤研究(B), 大阪大学
戦死者をめぐる宗教・文化の研究
川村 邦光; 冨山 一郎; 杉原 達; 荻野 美穂; 池上 良正; 中村 生雄; 田中 雅一
本研究は平成12年度から平成14年度の3年間にわたって実施された。課題名「戦死者をめぐる宗教・文化の研究」の研究目的は、戦死者をめぐってどのような宗教信仰や文化が形成され、現在にいたっているのかを研究することである。戦死者の祭祀や供養に関する調査と研究、戦死者をめぐるフォークロアの収集、靖国神社などの宗教施設や戦死者に関連する記念碑の調査と研究を目指した。
この研究謀題を進めるために、「戦死者のゆくえ」と題した研究会を組織し、3年に渡り、12回の研究会を開催することができた。研究分担者をはじめとして、多くの研究協力者が参集し、大阪大学や他の大学の教員・大学院生も参加した。また、「宗教と社会」学会の研究プロジェクトとして採用され、この学会員に研究会の呼びかけを行ない、多く参加者をえた。「戦死者のゆくえ」研究会では、研究分担者に加えて、他大学の研究者、また大阪大学大学院の院生にも発表やコメントを依頼して、他大学の研究者との交流をはかるとともに、若手研究者の養成と大挙院教育の充実をはかることができたと考える。
本研究の報告書として、15名の寄稿者をえて、449頁に及ぶ大部のものを刊行することができた。ここでは、研究分担者、大阪大学大学院の院生、他大学の教員・院生にも、研究会での発表に基づいて、原稿を執筆してもらい、研究成果の公表と共有化をはかった。研究目的の大半を達成できたと考えるが、いくつかの地域での調査の成果が論文のなかに反映されていないところがあるが、今後ともこの研究会を続行していく予定である。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 2000年 -2002年, 基盤研究(B), 大阪大学
近代日本の社会文化史的研究
廣田 昌希; 島薗 進; 西川 祐子; 小路田 康直; 成田 龍一; 杉原 達; 冨山 一郎
1997年度から1999年度までの3年間にわたって科学研究費補助金を受けた本共同研究は、日本側研究者15人、アメリカ側研究者15人の規模で出発した。これまでの近代日本の歴史がしばしば一国史的であることを反省して、「近代日本を相対化する」ということを目標に、さまざまの分野の研究者が集まったわけだが、1997年は、コロンビア大学とカリフオルニア大学サンデイエゴ校、98年はプリンストン大学、99年はハーバード大学と、1年に1回の日米合同の研究会またはシンポジウムの開催を中心に共同研究を進めてきたが、日本とアメリカ、あるいは研究分野の違いによる誤解や言葉の壁を克服する作業がまず重要な問題であった。そして、その作業は同時にナショナリズムの問題をクローズアップさせることになった。共同研究の進め方が、互いの国籍がもたらす相互理解の障壁を形成することの自覚となり、これまでの日本史研究の一国史的な問題の立て方そのものを問題化させ、さらに日本とアメリカにおけるナショナリズムの問題、その共通性、共有制、相互浸透のあり方、国民国家における文化の構造の問題へと展開し、99年のハーバード大学での研究会では、1950年代に焦点を合わせてそうした問題を具体的に検討することが出来た。このたびの3年目を区切りとして、共同研究の成果をまとめ、1-2年後に公刊する予定である。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1997年 -1999年, 基盤研究(B), 甲子園大学
近代日本の精神構造の社会史的研究
廣田 昌希; 島薗 進; 成田 龍一; 西川 祐子; 杉原 達; 上野 千鶴子; 小路田 泰直; 冨山 一郎; 安丸 良夫
1997年度から1999年度にいたる3年間にわたって、科学研究費補助金を受けて行ってきた本共同研究は、近代日本が行ってきた「戦争」の記憶を主とした対象として、多様な研究分野から、精神構造のあり方を明らかにしようという目的のもとにはじめられたのであるが、研究を進めていく過程で、各方面からのアジア太平洋戦争に関する議論が高まる状況にも押されて、次第にその戦争に集中していくこととなった。従軍慰安婦問題や強制連行問題、植民地問題、女性の戦争加担問題等とう、今日的な問題に学問的に否応なく取りくまざるを得なくなったのであり、それとともに、資料問題、聞き取りの問題、語り方の問題、戦争(歴史)を書くという問題などが重要な問題として意識されるようになった。さらに、外国人研究者を招いてのシンポジウムなどにおいてもそうした問題が共有され、国際的にも通用すべき文化研究として自覚されることとなり、共同研究の当初の計画は組み替える必要に迫られた。本研究はまだ中間報告の域を出ないが、3年を区切りとしてまとめを行うべく目下整理中であり、それは1-2年後に公刊する予定である。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1997年 -1999年, 基盤研究(B), 甲子園大学
開発言説と農村開発:スリランカ、インドネシア、タイの事例研究
足立 明; 阿部 健一; 桜井 義秀; 冨山 一郎; 花田 昌宜; 加藤 剛; カストゥリアーラチ ニマ; KASTURIARATC エヌ; 佐藤 寛
本研究は、スリランカ、インドネシア、タイ、そして昨年度から台湾を含めた地域における農村開発計画の比較研究を行ってきた。今年度は、昨年に引き続き、スリランカにおける貧困低減のための「ジャナサヴィヤ(人民の力)」計画、タイにおいては開発僧、インドネシアでは海岸部の泥炭湿地水田化計画、および戦後の開発独裁体制下の村落史などを調査した。
ところで、これら3年間の調査経験をとおして、開発現象を研究する上での理論的・方法論的問題が明らかになってきた。例えば、開発言説を分析するときには、言説のみならず、それと表裏一体となった制度全体を視野に入れる必要があるという点である。言いかえれば、まず我々の焦点を「地域的な開発の出来事」にあてることである。この「出来事」においては制度、モノ、言説がミクロの権力の網の目を構成しているが、ここに登場する開発関係者(導入者、農民、計画者)がどのような「開発の主体」(または「反開発の主体」)を構築するのかを理解することが重要である。そして、このような「出来事」における権力のネットワークと主体の形成を理解したとき、開発現象のミクロな過程を十全に把握できたといえるのである。
しかしながら本研究は、このような段階に達することはできず、その予備的な段階にとどまった。そこで、今後の開発現象の研究にむけて、我々は、主体、行為者、政治経済学といった理論的概念を精緻化するとともに、民族誌的資料の蓄積をはからねばならない。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1996年 -1998年, 国際学術研究, 北海道大学
近代日本の社会文化史的研究
廣田 昌希; 冨山 一郎; 杉原 達; 小路田 泰直; 島薗 進; 西川 祐子
本研究では、5月と7月に京都と東京で日本側スタッフによる研究会をもち、9月には、アメリカ合衆国コロンビア大学とカリフォルニア大学サンディエゴ校で延べ4日間の国際シンポジウムを行った。こうした研究会、シンポジウムの目的は、近代日本の「近代」性を、ジェンダー、国民国家、文学、科学、欲望など多様な文脈から検討するということと、こうした日本研究の枠組み自身を問題化するということであった。すなわち、日本における自国史としての日本史とアメリカにおける地域研究としての日本研究という枠組みを、問い直すという作業である。こうした研究会、シンポジウムにより得られた知見、及び今後の課題は以下の通りである。
1、性の歴史、近代文学の誕生、近代科学の成立、地域社会の国民統合、文化統合といった歴史的展開は、日本史という枠組みに収まりきらず、またさらに、近代における人の移動の拡大は、一国内に居住し続けることを前提にした歴史記述に大きな疑問を投げかけている。こうした近代を検討することにより、日本史という枠を前提することの問題性が明らかになった。2、日系アメリカ人の歴史や、日本とアメリカ両者の歴史の中で議論されなければならない沖縄の近代などを考察するなかで、アメリカ自身の歴史から切り放された地域学としての日本学の限界性が明らかになった。
以上から、次年度以降、自国史としての日本研究と地域研究としての日本研究の両者を批判的に検討しながら、日米の日本研究者がこれまでとは異なる新たな関係性の中で、具体的に歴史研究を進めることが課題となる。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1997年 -1997年, 国際学術研究, 甲子園大学
経済意識と経済の社会的評価に関する理論的実証的研究
前田 穰; 冨山 一郎; 木下 博道; 春日 直樹; 本濱 涼一郎; 岡本 英雄
経済意識と経済の社会的評価に関する特記すべき知見及び今後の計画を略記する。
1.経済意識(経済的態度)の構造。(1)消費者としての期待(信頼)。各種の経済主体や競争メカニズムに対する期待、また(政治主体や政経外の諸主体さらに順調な天候などの自然現象を含む)経済システムの諸環境要因に対する期待の分析からは、(1)政経主体に対する期待は低く、競争メカニズムに対する期待は高いこと、(2)因子分析の結果から、経営に対する期待と競争メカニズムに対する期待とは、乗離することが示され、メカニズム・制度への信頼とシステム主体への信頼の乗離が、政治システムにおけるような日本の特徴なのか、欧米でも見られるのか経済システムの特徴かという問題が提起された。(2)一般市民の経済の諸側面に対する見通しは、極度に悲観的であった。これは、主として中長期の日本社会観が悲観的であるところへ、急激な景気の悪化感が重なったためと解される。
2.経済意識と情報化との関連。「経済」からの自由連想語の範囲が、マスコミのニュースの語彙の範囲内にほぼ収まること、また人が経済情報を主として依拠するメディアの別(テレビか新聞か)は、その人の属性との関連が顕著なことが確認された。
3.経済意識と職業。特に自由競争と規制の意識を掘り下げた結果、事務従事者や現業従事者の差などは、職業的な利害によって説明されるが、自営業では屈折していることが見出された。
4.社会的公正観との関連では、経済見通しが悲観的なほど、学歴の資源配分機能を大きく、また学歴と実力の結合も大きく見る顕著な関係が見出された。
5.経済意識の文化的比較および、6.経済意識の生成については、国内の1時点の調査では制約があり、この基礎の上での本格的な展開を今後に計画している。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1995年 -1997年, 基盤研究(A), 奈良大学
アジアの農村における"開発"の導入と農民の対応-地域発展の固有論理を求めて
足立 明; 宇佐美 晃一; 冨山 一郎; 野間 晴雄; 福井 清一
本研究の目的は、アジア農村での開発の導入過程を総合的に分析するための枠組を模索することであった。特に、開発というものを西欧社会をモデルとして構成されてきた言説として捉える視角(視角A)と、そのような開発概念を前提として、実体的な開発導入過程の分析という視角(視角B)の統合を模索してきた。そのため、この1年間で4回の研究会を行ない、多彩な研究交流を行なってきた。
まず視覚Aに関しては、次のような論点が明らかになった。(1)開発言説における戦前の植民思想的な側面、(2)開発言説に見られる発展という「普遍的」な語りと、国民国家形成のための「ナショナル」な語り(「地域の固有性」)とが作り出す特異なループ、(3)このような特異なループにみられる「普遍」としての発展と、地域の固有性としての「文化」という対立を回避するために、新たな文化論としての異種混交論の提起など。
また、このような視角Aにたいして、視角Bからの論点も以下のような明らかになった。(1)大きな時空間比較(アジアの6つのデルタにおける発展)の有効性、(2)国民国家単位(インドネシア、日本、バングラディシュ、フィリピン)の発展の比較検討の枠組みなど。
なお、本研究では、2つの視角の統合に成功したわけではないが、多くの論点が明らかになった。今後はこの研究で到達した論点を詳細に記した成果報告書を平成7年度に出版する予定である。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1994年 -1994年, 重点領域研究, 北海道大学
日本社会の変容と日米関係
山之内 靖; レイモンド ジュソーム; グレゴリー フックス; ミヒャエル プリンツ; 長原 豊; 雨宮 昭一; 鈴木 ゆり子; 佐藤 卓巳; 冨山 一郎; 杉山 光信; 井上 芳保; シャーク S.; 木前 利秋; 成田 龍一; コッシュマン V.; 清水 透; 酒井 直樹; 姜 尚中; 中野 敏男; 小倉 利丸; ノートン B.; ホストン J.; 島薗 進; 岩崎 稔; ド・バリー B.; 佐藤 公彦; 吉田 光男; 伊豫谷 登士翁; 宇佐美 滋; 中嶋 嶺雄; チェン タンイエン; マーチン リサ; カーラー マイルズ; 鈴木 茂; シャーク スーザン; 沼田 京子; コックス ゲィリー; 小笠原 欣幸; シュガート マシュー; 宮台 真司; ライプハート アーレント; グレック ベンジャミン; コーウェイ ピーター; 大沼 あゆみ; 飯田 隆; オブラス B ピーター; 樋渡 由美; ローゼンブルス フランシ; 坂口 洋一; ホシ タケオ; ド バリー ブレット; コシュマン J V; ジョンソン チャーマーズ; サカイ ナオキ; マッカビンス マシュー; カーネル サムエル; 井尻 秀憲; マクラミン ジョン; ターナー クリスチナ; ラムザイヤー マーク; ノーブル グレゴリー
「日本社会の変容と日米関係」を主題とする本プロジェクトは、当初、1980年代に進行した情報社会化によって日本社会がいかなる変容を被ったか、また、この日本社会の変容によって日米関係にいかなる新たな摩擦が発生したかを検討するという課題を掲げていた。しかし、アメリカ側の主たる提携先がカリフォルニア大学サンディエゴ校からコ-ネル大学アジア学科へと移行したことにより、研究の課題は<戦時動員体制と構造変動><冷戦後における政治・経済のグローバル化と国民国家の動揺>という軸へと推移していった。後者の軸は80年代に進行した情報社会化と密接に関連しているが、前者の軸は、「日本社会の変容」を第二次世界大戦期にまで遡って捉える必要があるという認識が生まれたことによって、追加されたものである。
研究実績を年度ごとに整理すれば、以下の通りである。
〔第一年度〕
東京コンファランス・・「政党の公認をめぐる派閥競争」「議会主義の諸類型とその比較」「情報と投票行動」「原子力政治における日米比較」の各報告がアメリカ側によって行われ、各報告に日本側からのディスカッサントが付けられた。会議は完全同時通訳システムで行われ、多数の参加者を得た。
サンディエゴ校研究集会・・「新保守主義政権の日・米・英比較」「環境悪化とロールズ的成長」の各報告が日本側によって行われた。
コ-ネル大学およびコロンビア大学研究集会・・「日本経済と移民労働」「日本近代史研究の新潮流」の各報告が日本側によって行われた。
他に、グラック教授(コロンビア大学)「アメリカにおける戦後史学の思想」、ドバリー教授(コ-ネル大学)「現代日本文学における植民地体験」、サカイ助教授(コ-ネル大学)「和辻哲郎の文化論」をめぐるセミナーが東京外国語大学で行われた。
〔第二年度〕
東京コンファランス・・「日本バッシング時代における日本研究」「日系アメリカ市民と差別体験」「戦後における主体性論とナショナリズム」「翻訳と文化的差異」の各報告がコ-ネル大学メンバーによって行われた。完全同時通訳。
コ-ネル大学研究集会・・日本側から三名が報告を行い、今後の研究交流についてコ-ネル大学メンバーと協議した。共同研究の成果を『総戦力と現代化』『ナショナリティーの脱構築』の二冊にまとめ、英語・日本語両版を日米で同時に刊行する計画について双方が合意した。
他に「日本社会の変容とヴェーバー学の革新」「中国社会の変動と日米関係」についてアメリカ側メンバーを交え、東京で研究集会を開いた。
〔第三年度〕
東京コンファランス・・ドイツからプリンツ教授を招き、「戦時動員と構造変動」を主題として、二名のアメリカ側研究者を交え、報告とディスカッションを行った。完全同時通訳。
コ-ネル大学・コロンビア大学・ハワイ大学研究集会・・日本側から四名を派遣し各研究集会で報告をおこなった。題目は「総力戦体制と思想戦の言説空間」(佐藤卓巳)「内田義彦の著作における市民社会」(杉山光信)「幕末維新期の民衆運動新研究の視点」(鈴木ゆり子)「熱帯科学と植民地主義」(冨山一郎)であった。
以上、三年間の国際共同研究プロジェクトにより、極めて充実した成果をあげることができた。特にコ-ネル大学グループとは緊密な交流を重ね、二冊の書物(和文・英文計四冊)の刊行について合意にいたったのは、社会科学・歴史学の領域において日本で初めてといってもよい快挙であった。
また、第三年度に招聘したドイツのプリンツ教授とは、日本の我々のグループを中心として、日・独・米の研究者による現代社会の比較研究-とりわけ「総力戦体制下における社会変動」という観点をめぐり-をおこなうことで合意をえた。この新たなプロジェクトについては、幸いにして1995年度からの三年間にわたり、文部省科学研究費による助成をうることが、すでに決定されている。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1992年 -1994年, 国際学術研究, 東京外国語大学
アジアの農村における“開発"の導入と農民の対応…地域発展の固有論理を求めて
足立 明; 冨山 一郎; 宇佐見 晃一; 野間 晴雄; 福井 清一
本研究の目的は、アジアの農村での開発の導入過程を総合的に分析するための枠組の模索であった。特に、開発というものを西欧社会をモデルとして構成されてきた言説として捉える視角(視角A)と、そのような開発概念を前提として、実体的な開発導入過程の分析という視角(視角B)の統合を模索してきた。そのため、この1年間で4回の研究会を行ない、多彩な研究交流を行なってきた。
視角Aに関しては、開発儀礼やキャンペーンの分析を通じて、開発イデオロギーの流布に関して明らかにされた。また、日本の南方関与の分析を通じて、南方島民の位置づけに関する「文化的」語りと「実践的」語りの二重性によるイメージ形成が明らかにされ、この枠組みは日本によるアジアの農村開発という関与を通じた「低開発」の発明を理解する新たな枠組みを提示した。
視角Bに関しては、技術的進歩に関連した人間の主体的誘引についての普遍的な論理を検討し、その限界と展望が議論された。また、バングラデシュ農村を対象として、歴史学的、社会学的な分析から、開発導入の際の「官」と「農民」の間のギャップが示され、それについての今後の展望が明らかにされた。
しかしながら、今回の研究会の場では2つの視角間の批判や統合が必ずしも活発に行なわれたとは言えず、しばしば併置というかたちに終わった。今後は、研究会の場で語られなかった両視角間の認識論的、倫理的前提を言語化して、両者の橋渡しをし、第三の統合的枠組みを模索する必要があるだろう。, 日本学術振興会, 科学研究費助成事業, 1993年 -1993年, 重点領域研究, 北海道大学